2017/09/25

貿易摩擦と医薬品規制の歴史


医薬品が病院で使用できるようになるまでには、発見された物質が臨床試験され、当局(厚生労働省)に認可される必要があります。医薬品の申請について概要を理解することは、製薬業界に転職もしくは新卒で入社を希望する人に役立つかもしれません。


ここで医薬品は、主に病院で使われる医療用医薬品のことをさします。
医薬品と一般の消費財との違いは、国、行政機関が認めたものでないと販売ができない
認可制のものであること。違反すると薬機法違反になりつかまります。


医薬品の効果や安全性(価値や限界)を知るには、臨床試験が必要になります。
医薬品が、毒や食べ物の違うのは、薬として使われるまでに、人体への安全性と効果について、きちんと検討されているからです。医薬品の見た目は、タブレットやカプセルにして多少区別がつくようになっていますが、粉か液体のような形をしています。
医薬品が価値を出すのは、体に害がなく(少なく)病気に効果があるということです。
これを証明するためのヒトに対する試験が臨床試験であり、効果や安全性が国(当局、厚生労働省、PMDA)に認められて、病院などで使用できるようになっていきます。


こういった臨床試験には一定のルールがあり、一般に医療は、規制が強いとか悪く岩盤規制などと言われています。特に、経済活動をしている人は、普段元気なために意識しないのかもしれません。いわゆる国民皆保険制度で、医療費の負担が実際に支払わないといけない費用の1割から3割であることがあります。これも医療費が身に差し迫ったこととして考える契機にならない原因かもしれません。ともすると、儲かるからとか、あたかも規制が悪いような論調で、規制を撤廃しようという話になります。ただ、医療は生きるか死ぬかの問題であることを考えると、経済の理論だけで述べるのは危険だと思います。

医薬品が病院で使われるようになるために、製薬会社が当局に申請する資料を承認時申請資料と言います。承認時申請資料は、1990年代前後までは、独自の基準や言葉の統一などされていなかったようです。

時代的な背景を振り返ると、1986年12月-1991年2月までバブル景気とそれに続くバブルの崩壊、1995年のWindows95発売、その後のインターネットの急速な普及。世の中的にはそのような状況で、政治的には、中曽根康弘首相とレーガン米大統領は、「ロン・ヤスの仲」で知られていたようです。彼らの一つの成果が、 1985年から1986年にMOSS協議で特定分野(エレクトロニクス,電気通信,医薬品・医療機器,林産物等)の日本市場に関する話し合いのようです。

医薬品規制の国際化は、1990年に ICH( International isation of Technical Requirements for Registration of Pharmaceuticals for Human Use:日米 EU 医薬品 規制調和国際会議)という団体を背景に行われました。この会議体は、不必要な繰り返しの防止、新医薬品の開発,承認申請の効率化を目的として、日本、米国、 EUの医薬品行政当局と製薬産業界の代表で設立されました。具体的には、新薬承認審査のための医薬 品特性検討に必要な試験の実施方法やルール、提出書類標準化等の作業をしています。

90年代、医薬品市場の大きさを考えると日本は、7割くらいの大きさがあったようです。国際基準を作ることで規制が事実上規制が国際的なものに置き換わっていきました。
大体、2000年以降に発売された医薬品は、これらの国際的な基準を元にしています。

2000年頃からのバイオ医薬品の上市(発売)と相次ぐ日本国内の研究所の閉鎖と国際化も無関係な動きではないと思います。

ICHの発足が、医薬品の申請が国際的な基準になっていった端緒です。
また、ICHの基準を読み解くと医薬品がどのようにできていくのかがわかると思います。